Posted on 2017.03.16 by MUSICA編集部

クリープハイプ、必殺の新曲“イト”完成!
尾崎世界観の今の胸中、そして新曲に迫る

「ここに飛び込めばいい」っていうのは
わかってるんだけど、怖かったり、
なかなか飛び込めなかったんです。
でも“イト”はやっとそこに飛び込めました。
いつも準決勝で負け続けてたけど、
久しぶりに決勝まで来たなって感じがするんですよね

『MUSICA 4月号 Vol.120』P.76より掲載

 

(前半略)

■そして、本作“イト”のお話です。この映画『帝一の國』とのタイアップの話は、だいぶ前からあったお話なんですか?

「去年の秋くらいに話をもらいましたね。……なんでだったかは覚えてないんですけど、監督(永井聡)との初めての打ち合わせの時に、ヤバいくらいの二日酔いだったんですよ。震えるくらい酔っ払ってて(笑)」

■え……めちゃくちゃ大事な打ち合わせでしょ?

「そうなんですよ(苦笑)。それなのに、打ち合わせの時にエレベーターに映った自分の顔を見て『ヤバい……』と思ったぐらいで。どうしようぅぅ……と思いながら、打ち合わせが始まって。絶対にこれは曲で恩返しをしたいと思って……もう本当に『なんでこうなっちゃったんだろう』っていう後悔の嵐の中から曲作りが始まり……」

■はははははははははははははは。

「ずっと『申し訳ない……』って思っていましたね(笑)。でも、このことは絶対に覚えておこうと思って。ミュージシャンなんだから曲で返そうと決意しました。……で、やっと1月の頭くらいにサビができて。それまでは『どうしても詰まっちゃって、ここから先にメロディが行けないなぁ』っていう感覚があったんですけど、急に思い出せたんですよね」

■メロディがパーンと抜ける感覚を?

「そうです。『あぁ、これだったな!』って。今まで触ったこともないけど、懐かしい感じというか。遅れたことも申し訳なかったし、自分の中で後悔の残る打ち合わせが、これでチャラにできるくらいのサビだなって思えて」

■僕はとても攻めている曲だと思いました。何に対して攻めているかというと、一番はお茶の間に対して攻めている曲だってこと。この曲ほど、意を決して「ただのポップス」をやろうと。みんなのど真ん中に行こうとしているのって、僕が知る限りでは“憂、燦々”の時しかなかったと思うんです。で、あの時は――。

「あの時は単純に『いい曲を作らないといけない』、『爪痕を残さないといけない』っていうのがあったので、ガムシャラに限界まで振り絞った結果、少し届いたのかなって感覚だったんですよね。今回はあの時よりもいろんなことをやってる分、『ここだな』っていうのは感覚としてわかってて。『ここに飛び込めばいい』っていうのはわかってるんだけど、怖かったり、なかなか飛び込めなかったんです。でも今回はやっとそこに飛び込めました。だから、“憂、燦々”の時よりは意識的にポップという概念を狙ってやれたのかなって。あと、あの時は『もっと行ける』という可能性を感じてたんですよね。だからあの曲で『あぁ、ここか。ここまでやってもこんなもんか』って落ち込みもしたし。今のところの自分達のピークだったし、大切な曲なんですけど、それ以上に悔しい曲でもあるんですよ。そうやって天井が見えてしまった曲でもあるから。だから、今回はもう一度その天井を壊そうと意識してそこに行きました。だから2度目の挑戦っていう感じですかね」

■『帝一の國』は今年のゴールデンウィークの目玉映画だと聞いているんだけど、それも含めて尾崎は「あ、ここで賽は投げられたんだな」ってきっと思ったと思うんですよ。そこで「このチャンスを逃しちゃいけない」っていう悲壮感が漂うものではなく、「この椅子に座らせるのはどういう音楽なんだろう」っていうことをフラットに考えられたのが、功を奏していると思う。曲自体から、そういう批評能力がビンビンに響いてくる。

「そこは“鬼”での経験が大きかったかもしれないですね。ドラマの主題歌っていうのも初めてだったし、いろんなことをやり尽くして、最後の手段でああいう手法————とことんドラマの内容にも向き合って、変な曲だけど、癖になる感じで勝負しようと思って、考え抜いて到達できたので。でも、『あれでもなかったけど、これでもないのか……』とも思いましたし」

■でも“鬼”は、寄り添ったドラマ自体が世の中に対してのダークネスを出していくものだったし、それが必然的に音楽にも求められていたと思うのね。そういう意味では癖を全面的に大衆に出さないといけない曲だったし、そもそものベクトルが今回とは違うと思うんです。僕はこの映画の原作をまだ読めてないけど、プロットを見ながらこの曲を聴いていると、もっと楽しくて素直に人の中に入り込んでいける作品なのかなって思っていて。それってクリープハイプらしくはないけど、でもそれをこの楽曲はある意味忠実に表していると思うんですよね。そういうテーマの曲を尾崎がやるっていうことは結構頑張らなくちゃいけなかっただろうし、今まではそこに対してここまでど真ん中の直球を投げられなかったと思うんだよ。

「本当にそうですね。そこは頑張りましたね。何よりも嬉しかったんですよね。“破花”の時もそうでしたけど、“破花”はああいう曲だったからわかりづらかったのもあるし。だから、今回はもっとわかりやすく真ん中でやれたのかなって」

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text by鹿野 淳

『MUSICA4月号 Vol.120』