Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

キュウソネコカミ、初の表紙巻頭!
アルバム『人生はまだまだ続く』第一声、
さらにバンドの白歴史と黒歴史を全部曝け出した
保存版・キュウソ全史!!

「インディーズの時は『この道しかない』って感じやったけど、
今は他にも頑張ればいろんな道があるぞって思えてて。
ちゃんと頑張れば凄いことをやれる」(ヨコタシンノスケ)

「僕の目標はスーパースターになることなんですよ!
あと、サラリーマンの生涯年収を貯めたい(笑)」(ヤマサキセイヤ)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.12より掲載

 

Chapter.1 白歴史

「お前らやり残したことはないんか!?」

2009年12月、キュウソネコカミ結成!

 

■まずは結成の経緯からいきましょうか。

ヨコタ「実は2009年12月ではなく、基礎ができたのは2009年の8月にセイヤと俺とソゴウでバンドやろうってなった時なんですよね。初代ベースのはがね丸とは違う女子にベース弾いてもらって、部活内のライヴにキュウソネコカミっていう名前で出たのが最初だったんですよ」

■念のため確認だけど、オカザワくんとタクロウくんも含め、みんな関西学院大学の軽音楽部で出会ったんだよね?

ヤマサキ「そうです。純度100%関学(笑)」

ヨコタ「オカザワは後輩なんで1年遅れですけど」

■そもそもキュウソは何を目指してというか、どんなイメージで結成したの?

ヤマサキ「それはもうthe telephonesっす! 前のバンド(セルフボラギノール)はThe MirrazとかArctic Monkeysをやりたくて結成したんだけど、全然クソで(笑)。で、ちょうど2009年ってthe telephonesが初めてRUSH BALL出たりツアー回ったりしてて、俺めっちゃ観に行ってたんです。で、俺もあれやりたい!って思って」

ヨコタ「ニューレイヴ全盛でしたからね」

ソゴウ「海外のバンドでもあの頃多かったしな」

■KlaxonsとかLate of the Pierとかね。

ヤマサキ「めっちゃ聴いてたもんな。で、シンノスケとソゴウにああいうのやろうよ!って言って。その時まさに就活活動全盛期でしたけど(笑)」

■大学4年の夏ってことは追い込み時期か。

ヨコタ「いまだにセイヤにバンド組もうぜって言われた時のことは覚えてる。サークル同士のライヴがあって、その打ち上げの居酒屋で言われたんですよ。その時、俺はまだ就活する気もあって。というか、俺は単位が絶対足りないので1年留年することは決まってたんですけど、今年は諦めるにしても来年は就活するのかなと思ってて。で、セイヤは単位も取り切って余裕で就活!ぐらいの感じだったんだけど――」

ヤマサキ「そう、俺はもうちゃんとレールに乗ろうとしててん!」

ヨコタ「でも、そんなセイヤが居酒屋で突然、俺とソゴウに『お前ら、やり残したことないんか!?』って言ってきて」

■おーカッコいい! まさに青春!

ヨコタ「そうなんですよ。で、『この3人でバンドやらん? なんかイケそうな気がすんねんけど』って言われて」

■セイヤくんは順調に単位も取って、就活もしてたわけじゃない? でも、そこでレールを引っ繰り返そうと思ったのはどうしてだったの?

ヤマサキ「なんか……僕、昔から決められた慣習とかルールに静か~に逆らいたい人やったんですよね。先輩が決めた部活のルールとかも、絶対こっちのほうがええやん!って静か~に行動を起こして変えていくっていうか。で、就活の時も、あれって超巨大なルールの中に入らなダメじゃないですか。それがどうしてもできなくて。ふたりを誘った時は、落ちまくって就活が人間的に無理!ってなってる時期やったんですよね」

ソゴウ「その時に『この3人で組んでアカンかったらもうアカンやろ』っていう話はしたよな」

■3人ならイケるっていう根拠はなんだったの?

ヤマサキ「部活の中でも目立つ人間っているじゃないですか。で、この3人はその学年の中ではイケてたというか(笑)。いっつも3人で遊んでたし、友達グルーヴが高かったんですよ。で、こいつらと音出したらイケんじゃねぇの?みたいな」

ヨコタ「仲いいのにバンド組んでなかったよね」

ヤマサキ「元々シンノスケは結構楽器が上手くていろんなコピバンでライヴに出てて、友達やけど誘いにくい人だったんです。でもオリジナルバンドやるってなったら別じゃないですか。上手いヤツ入れたいじゃないですか!(笑)」

■そうね(笑)。

ヤマサキ「そんでソゴウはどっちかと言うと下手っぴやったんですけど、部活でめっちゃ一緒にコピバンしてたんで。で、12月にはがね丸とオカザワ入れた5人体制になるんですけど、オカザワはセルボラも一緒にやってたんで半ば強引に(笑)」

ソゴウ「正直、俺らは『オカザワ入れるわ〜』って言われた時、『え、マジで!?』ってなったよな?」

ヨコタ「そうそう、俺達仲よくもなかったし」

ソゴウ「仲よくないこともないけど(笑)、単なる後輩くらいの感じやったし、もっと仲のいいギタリストもいるのになんで?って。あと、オカザワは大学卒業して就職して、ちゃんとレールに乗って人生歩んでいくヤツやと思ってたから」

オカザワ「そうっすね。実際就職してますし」

ヨコタ「そうそう、博打打たなそうだから、無理なんじゃない?っていうのは思った」

■セイヤくんは何故オカザワくんを呼んだの?

ソゴウ「俺、その時セイヤが言ってたことで覚えてんのは、『オカザワは文句を言わずになんでもやってくれるから』って(笑)」

■酷っ!(笑)。

オカザワ「まぁまぁそんな感じですよ(笑)」

ヤマサキ「一緒にやってたセルフボラギノールって、ドラムとベースが頭おかしいヤツらやったんですよ。その中で唯一会話ができたっていうか、『セイヤさん!』って言ってくれるのがオカザワだけで。しかも当時から、俺が『◯▲っぽいフレーズで』とか言うとすぐ弾いてくれるヤツやったんですよね。まぁだから要するに…………使いやすいヤツやったんです(笑)」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

サカナクション、草刈姉さん復帰!
久々の5人全員・再始動第一声!

「妊娠の苦しい感じがレコーディングしていたことによって――
身体的には苦しいこともあったけど、精神的にはラクに過ごせて。
みんなとモノを作り上げられてよかった。みんなのおかげです」(草刈)

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.40より掲載

 

■姉さん、昨日から復帰したの?

山口一郎(Vo&G)「現場復帰は昨日から。一昨日からいろいろ始めたね」

■お帰りなさい。

草刈愛美(B)「ありがとうございます」

■どうですか? バンドに戻ってきて。

草刈「全国のお母さんにはおすすめしません(笑)。最初の日からいきなり20時間(仕事しっぱなし)はちょっとやめたほうがいいと思います」

岩寺基晴(G)「本当だよね(笑)。さっき朝方にMVの撮影が終わって、草刈が現場にいた時間がトータル20時間ぐらいになっちゃってですね」

■いきなり洗礼を受けちゃったんだ(笑)。

草刈「………はい。これからいろいろご相談しながらやっていこうと思っております(笑)」

■どうですか? リズム隊としてのパートナーが戻ってきた感覚は。

江島啓一(Dr)「俺、まだ楽器で合わせてないんですよ。撮影しかしてないんで。まぁこれからですかね、帰ってきた感を味わうのは(笑)」

■そもそも、「やった!」ってなったのはいつぐらいだったんですか?

草刈「妊娠したのがわかった時? わかったのは9月ぐらいだったかな」

■まさにこの“新宝島”のトラック録ってる時期ぐらいか?

草刈「デモとかセッションが終わって、もう作り始めてるぐらいですね」

岡崎英美(Key)「私はめちゃくちゃ幸せな気持ちになりました。その日はたしか“新宝島”の作業もしつつ、映画のサントラとかもやってて。発表する時は神妙な感じだったと思うけど(笑)、めでたいなって思いました」

■女性としてもまたね。

岡崎「そうですね。お母さんとしての先輩っていうのもあるし……」

山口「お母さんの先輩!? お前、お母さんじゃないじゃん(笑)」

草刈「これからなるかもしれないってことね(笑)」

岡崎「そうそう、女性としての先輩(笑)。これからはお母さんとしての大変さみたいなのもあると思うから、サポートができたらいいなって思いましたね。同性だからわかるところってあると思うんで」

岩寺「でも、話聞いた時は凄い幸せな気持ちになって、みんなで『朝からスタジオ集まって、夜12時前には終わろう』みたいな話をして。これを機にそうやって浄化しないとなって思いました(笑)」

■一郎は?

山口「前にも鹿野さんに話したかもしれないけど、僕はひとつ成し遂げた感がありましたね。草刈が札幌から東京に出てきて、東京で出会った人と結婚して、子供ができて。不安はもちろんありますけど、音楽で生活できてるわけじゃないですか。旦那さんも仕事してらっしゃるけど、そこまで来れたんだなって思って。……俺、草刈から下北の和食屋で聞いたんだっけ? 電話だっけ?」

草刈「電話。歌詞書いてた時で、もう(スタジオには)いなかったから」

江島「こっち側にはもういなかった(笑)」

山口「聞いた時は、宝くじ当たったみたいな感じだった。『きたー!!』みたいな感じだったよね?」

草刈「うん、『きたー!!』って言ってた気がする(笑)。そもそも『いつまでに』っていう具体的な相談をしたんですよね」

山口「凄く嬉しかったですけど、その瞬間に『ちょっと待ってよ。草刈いないのって大丈夫なのか?』みたいな不安感もありましたね。でも、実際に草刈がいない状態で、今回のカップリングとかいろいろ4人でレコーディングとかしてたけど、スケジュールに追われながらやってたからさ。……いなくなってわかったこともいっぱいあったんですよ。まず、草刈に頼ってた部分が凄い大きかったなって思ったし、役割がきっちり分担されてたんだなって思って。だから草刈がいなくなって空いた部分を誰かが埋めなきゃいけないわけで。僕は相変わらず言葉に追われる人間だから、3人で補わなきゃいけないっていう。たとえば『ここでバーッとこういう音が欲しい』とか『こういうコード感にしたい』みたいな、『簡単にラフ作って欲しい』っていう時に、草刈だったら1日もかからずできることが、3人だったら誰がそれをやるの?っていう。あと、俺がどうしたいかとか、『ここをもっとこうしたほうがいい』っていうのを瞬発的に理解して形にするのって、モッチとかがやってた時もあったけど、でも9割ぐらいは草刈だったんですよね。あらためてそれがわかって戸惑った」

■エジーはどうだったんですか?

江島「その日は割とパニックでしたね(笑)。レコーディング最中だったけど、もう今日はレコーディングできないなって感じで。でも、そういえば2年前ぐらいに『再来年ぐらいに産みたい』って話をしてて、すげぇ予定通りじゃんって思ったんですよ」

草刈「でしょう?(笑)」

江島「っていう話を2年前に聞いてるくせに、こっち側はなんの準備もできてなかったっていう」

■バンドとしてひとつの人生の階段の踊り場に来たってことだよね。

江島「うん。『きたか、この時が』っていう」

■というふうに、みなさん喜びながらいろいろ考えがあったみたいなんですけど、姉さん自身はどうだったんですか?

草刈「話にも出ましたけど、数年前に『ここで産みたい』っていう話をしていて――あれは結婚して1年くらいかな」

■それが自分がサカナクションを続けていくルールでもあり、けじめでもある的な感じだったの?

草刈「この速度で、こういうバンドで、こういう人数態勢(スタッフ含めて大掛かりという意味)でやってるし、いろんなことも先に決まってるから、いきなり妊娠が決まるといろんなことが大変だっていうのもわかってたんで、なるべく早め早めにとは思ってたんですよね。それで『もうちょっと早めにできるぞ』とか、自分でいろいろ計算しながら過ごしてたんですよ(笑)。『ツアーが次の秋だから、自分はこのくらい休んで――』とか考えて、結局今回は(出産前後)3ヵ月くらいは休ませてもらったんだけど。大丈夫かな?っていう気持ちもかなりあったんですよね。でも一郎くんも事務所も『思うようにやっていいよ』って言ってくださって――」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』

Posted on 2015.09.15 by MUSICA編集部

パスピエ、音楽の真髄と秘境と妄想を具現化した
会心のアルバム『娑婆ラバ』完成
大胡田なつきと成田ハネダ、
ふたつの視線からその確信と魔法を紐解く

ネットとかライヴってむしろ、
凄く限られてる空間だと思うんです。
僕は唯一解放される瞬間って、曲を聴いてる時間だと思ってるんですよ

『MUSICA 10月号 Vol.102』P.184より掲載

 

Interview with 成田ハネダ

 

■メジャー3枚目のアルバムが出ました。1枚目も2枚目も素晴らしかったけど、今回の『娑婆ラバ』は、また新しい名作が生まれたと思いました。

「おっ、ありがとうございます」

■まず、成田にとって「娑婆」ってなんなの?

「今回、初めての試みがいくつかありまして。それはシングルの“トキノワ”と“裏の裏”がタイアップだったっていうこともありますし、12月に武道館が控えてるっていうのもあると思うんですけど。最近は、自分の好き勝手に音楽をやって、ライヴをやったりリリースをさせてもらうようになってきたんですけど、実は言うほど外のことを意識してこなかったんですね。それこそフェスっていうものに向けてどういうアプローチをしていくかとかは考えてるんですけど、制作の部分において、外に目を向けられてない部分があったので、今作は『パスピエをより知ってもらうには』っていうところを意識したかもしれないです。『演出家出演』(1stアルバム)から遡ると、あの時はライヴシーンでパスピエをどう見せるかっていうところで、外を意識するっていうよりは、『こういうことやったら面白いんじゃないか』みたいな根拠のない想像を体現していってたんですけど」

■それが大胡田さんの書くイラストとか、姿を見せないでみんなに面白がってもらうっていうところだったんだよね。でも、その「面白がってもらえる」っていうところが音楽になってくると、ある意味作曲家であり総合リーダーである成田の主戦場になってくるわけだけど、そこはどういうふうに考えながら『演出家出演』の頃は作っていったんですか?

「そこはね、世の中の無尽蔵にアガるアッパーソングに対するパスピエなりのアプローチっていうことで作っていったんですよね。そして『パスピエがアッパーソングを作るとしたら』っていう仮定で作ったのが、“S.S”や“フィーバー”っていう曲達なんです」

■初期の代表曲だよね。バンドの初期の頃からそういうことを考えていたんだ。

「一番最初に出した『ONOMIMONO』っていうミニアルバムの時もそうなんですけど、『演出家出演』よりも前の段階は、打とうとしてるところに響かないっていう葛藤がずっとあったんですよね。インディの時は自己満を突き詰めてそれを具現化していったんですけど、メジャーになった時に『それだけじゃいかんぞ』っていうことに気づいて、『演出家出演』っていうアルバムを作ったんです。でも『演出家出演』って、自分の中では自分のアザーサイドで、『こうだったらパスピエは面白くなるんじゃないか』って仮定した、仮想世界みたいなものを表現したアルバムだったんです。そこでお客さんやリスナーが増えた喜びもあったんですけど、一方で自分の仮想世界のほうで得た実績に対しての疑問みたいなところがあって。なので、自分のクリエイティヴの部分を保つために、『幕の内ISM』(2ndアルバム)はインナーワールドに特化した作品にしたんですね。『演出家出演』でパスピエを知ってくれた人のためにも、改めてパスピエの人間性、内面性を自己紹介しなきゃいけないんじゃないかと思って」

■今の話って、『演出家出演』の頃は自分を出していっても成功しないと思ったからこそ、自分を上手く武装させたクローン的な音楽を使ったら、ポップになるんじゃないかと思ったってこと?

「そうですね。ポップというよりは、今のバンドシーンに対してなんですけど」

■そして、そのクローンを使ったらひとつ着地が見えた、と。そうしたら、今度はそのクローンに血を通わせるのが大事なんじゃないかと思ったのが『幕の内ISM』っていう?

「そうですそうです。『幕の内ISM』の時は『この作品がたくさんの人に届けばいいな』と思ったりもしましたけど、それよりも『演出家出演』でパスピエを知ってもらった人に、パスピエの内側を知ってもらいたいみたいな気持ちのほうが大きかったかもしれないです。で、リリースしてツアーを回った段階で『幕の内ISM』 のモードは昇華したんですよね。そして、今回の『娑婆ラバ』のタームになってなった時に、パスピエファンだったりパスピエリスナーに対する自分達なりの表現っていうのがある程度完結した部分もあり――」

■2枚のアルバムで表と裏を作った、と。

「じゃあ、今度は外に足を伸ばしてみようってイメージですかね、『娑婆』というのは」

■このアルバムに至る過程では、シングルの『トキノワ』と『裏の裏』でインタヴューをやらせていただいてて。僕は『トキノワ』のインタヴューの時に「七三分け」という言葉を使って、7がポップさで3がコアな欲望っていう割合だと話をしたんですけど。成田の中では、そこでタイアップも含めて世の中(=娑婆)に出ていこうとした時に、どういうふうにここまでのシングルに至ったの?

「結果的に正しかったかどうかはこの先になってみないとわかんないですけど、“トキノワ”の時も“裏の裏”の時も、パスピエが進もうとしてる道とパスピエがやってきたことを1曲の中で表現しないといけないなって漠然と思ったんですよね。でも、タイアップだと1コーラスしか流れないんで、パスピエのことを知って欲しいって思いながらも、1コーラスだと全然収まり切らなくて(笑)」

■それはクラシックをやってきた成田の音楽性の本質でもあり、問題でもあると思うんだけど。

「まさにそうですね(笑)。ずっとクラシックをやってて、1曲30分みたいなところを主戦場にしてやってきたので。で、“トキノワ”がアニメでも流れ始めて、そこから“裏の裏”に着手し始めたんですけど、そのぐらいからアルバムに向かっていく作品作りをしようと思ったんですね。“贅沢ないいわけ”と“トキノワ”で、パスピエとしては初めてぐらいポップな曲を表に出していくっていうことをやっていって。でも、そこで『パスピエってなんぞや?』って思った時に、『直球ポップスバンドではないぞ』って思い始めて。そこからアルバムの曲達が密度の濃いものを担ってきて、アルバムに繋ぐためにも“裏の裏”という曲を出しておこうと思ったんです」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA10月号 Vol.102』