Posted on 2018.08.29 by MUSICA編集部

削ぎ落されたサウンドプロダクションの中で、
豊潤で果てなき宇宙を響かせたアルバム『Sonatine』。
大いなる進化と深化によって鮮やかに真価を開花させ、
猛スピードで新たなフェーズをひた走る3人と語り合う!

 

撮影=木村篤史

凄い柔軟に流動しながら曲ができてる。
3人がどんどん自由にミックスされていく、
その柔軟性ってそれこそ生き物みたいな、
自然の揺らぎのものだと思っていて。それはバンドサウンドのよさですよね。
肉体的な、根源的な部分で形が変化してくっていうのは面白い

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

櫻木「本当に、凄い柔軟に流動しながら曲ができてる感じなんですよね。そうやって3人がどんどん自由にミックスされていく、その柔軟性ってそれこそ生き物みたいな、自然の揺らぎのものだと思っていて。それはやっぱり、バンドサウンドのよさですよね。電子音楽でもそういうことを表現できる人は本当に数少なくいますけど、やっぱりプログラムがあってのものだから。もっと肉体的な、根源的な部分で形が変化してくっていうのは面白いし、体に馴染みやすいんじゃないかなって思うし。D.A.N.にしかできない部分は結構そういうところにあるのかなって思いますね」

■そして歌詞のことも訊きたいんですけど。“Pendulum”の<きっと いつか わすれる つもり>、<どうせ いつか このほしも おわる>、<きっと いまは とどかぬ みらい>、あるいは“Replica”の<花は枯れるほどに/息吹を返すさ/有り余るほど脆い>という言葉など、非常に印象的な言葉が多いんですが。全体に、過去と未来の狭間にぽっかり浮かんでいる今っていうもの、終わりと始まりの狭間にいる感覚、あるいは生と死というものを感じさせる歌詞になっていて。その狭間感は過渡期にある今の時代を象徴しているなとも思うんですが、自分ではどう捉えてますか。

櫻木「歌詞ってどうしても、凄い潜在的な部分での自分の人生経験みたいな部分が反映されると思うんですよね。それはいつも、録音して聴いてみてから気づくんですけど。でも今回は、全体的に自分の死生観とか生きることとか、何かと離れる/別れるみたいな部分の刹那みたいなものを反映せざるを得なかったというか………今っていう瞬間をどういうふうに生きるかで過去も凄い意味が変わってくると思うんですよ。過去っていうものも確定されてない、凄く漠然とした不安定なものだと思うし、(略)未来も、自分が今どうするかによってどんどん変わっていくし。だから今ここにいるってことを強く意識することで、過去も未来も変わっていく。そういう感覚がひとつと、あと自分が生きてる今の世界って疲弊があると思うんですよね、どうしても。だから今回は<泳ぎ疲れた>という歌詞が僕の中でひとつのキーワードではあって――」

■実際、“Chance”と“Borderland”の両方でその言葉が出てきます。

櫻木「そうなんです、これは意図的に同じ言葉を使ってて。『Sonatine』っていうアルバムタイトルも、北野武さんの『ソナチネ』っていう映画から取ったんですけど、あの映画も主人公がもうヤクザやることに疲れたよって言って、沖縄へ逃避行するじゃないですか。その感じって自分が今回歌おうとした内容と偶然一致してたんで、それが個人的にはタイトルの決め手になったんですけど。だから“Boderland”っていうのも、生死の境界線のことなんです。その境界線に立ってる自分を俯瞰して書いてる部分があるし、この曲や、あるいはアルバムの全体的な流れに関しても僕は人生みたいだと思ってて。特に“Borderland”は人生で起こり得ることみたいな部分、死生観みたいな部分が、歌詞の上では大きいテーマではありましたね。………今回は全体的にどの曲も、『今を漂う』とか『今を生きる』みたいな部分に凄いフォーカスしてると思う。そう僕は解釈してますね」

■今話してくれたことがテーマとなった時、“Pendulum”で<いまは とどかぬ みらい>、<いまは とどかぬ ねがい>と、今何か叶うわけではないということを歌ったのは、ご自分の何を表してるんだと思いますか?

櫻木「基本的には、僕は未来がどうなるかっていうことに興味があって。具体的に言うと火星移住計画とか、今の地球が1回幕を閉じて人間がまた違う価値観と社会みたいなものを作る未来とか、そういう話に興味があるんですよね。で、結構意識としてはそういう状況下に置かれた自分達を歌っているというか。……でも、『漠然と生きるんじゃないぞ』っていう警戒を促す、みたいな部分も実はあります」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.29 by MUSICA編集部

ぶっ飛んだセンス、鉄壁のグルーヴ、不敵なムード――
圧倒的な説得力で急速にその勢力を拡大するKing Gnuが
この夏投下したふたつの新曲“Flash!!!”、“Prayer X”。
次代への風穴を開けた革新犯、その現在地を探る!

 

撮影=中野敬久

世界的にみたらミドルテンポの曲でもハードコアな要素っていうかエッジの
効いたものってのは山ほどあって。
アップテンポだろうがミドルテンポだろうが、常に凄いパンチのある
エッジな表現ではありたいなと思ってる

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

■曲の話からは離れるんですけど、そもそも常田くんってなんでバンドをやろうと思ったんですか? つまりバンドって世界的に見たら衰退してるし、常田くんはトラックメイクもできるわけで、現実的にKing Gnuの音源もかなり作り込んでるわけで、ひとりでやるほうが自由度が高いわけじゃないですか。でも、今この時代にバンドをやりたいと思うのは、そこにどんな勝算だったりロマンがあるからなんですか?

常田「バンド衰退っていうか、バンドが凄い乗り遅れてる原因として、こんだけ早い音楽の流れというか進化の中で、バンドっていうのはどうしても動きが重いし、音楽も平均値的になっちゃいがち。各々の裁量でプレイしていくからよっぽどメンバー全員で到達したい音楽像が共有できてない限り、ヌルくなるっていうか。変なバンドはね。で、正直、ヒップホップとかもそうだけど、生バンドよりもビートの効いたイカつい打ち込みのトラックが聴きたい事もあるし。……っていうのは確かにありつつ」

新井「うん、わかる」

常田「でもKing Gnuにおいては、最初に俺がガーンと出したヴィジョンへの共感と、各々へのリスペクトでの自然な形でのプレイっていうのが、King Gnuの前提になってるから。だからさっき挙げたようなバンドのストレスはない。そういう意味でその辺のバンドとはちょっと違うのと、あとはやっぱり、ライヴにおける身体性っていうのは絶対になくならないことだと思うんですよね。だからバンドが衰退してる原因は、俺は単純に音楽の進化の遅れだと思う。単純に一個人が新しい音楽を作り出してくスピード、『あれ新しいじゃん!』っていうスピードにバンドは今ついていけてないからヒップな印象がないっていうのがあると思うんだけど。でもバンドのカッコよさって絶対普遍的なものだと思うんで、そこにバンド勢は自信を持っていいんじゃないかと。かと言って、音楽的な発展が今のスピードのままでいいかって言われたらそれは別ですけどね。でもなくなんないと思いますよ、バンドのカッコよさって。バンドっていう見え方だからこそのエネルギーは絶対あると思います」

■話をちょっと戻すと、4人の平均値になってヌルくならないために、このバンドは具体的にどうしてるんですか?

常田「………(考える)……3人が、俺が最終的に描くサウンドヴィジョンを信頼してくれてるっていうのは大きくある。だからトライしてくれるっていうのはあると思うし、だからこそ『これ、バンドなの?』っていうエッジなトラック感があるバンドになってる。ビートメイカーのstaRoさんが“McDonald Romance”聴いた時に『バンドでこれやられたら勝ち目ないよ』って言ってくれたらしいんだけど、そういうことがちゃんと起こり得るっていうか。あれを普通に生のドラムでセッション感覚でや作りあげたらああはならないし。あと、このメンバーを決めるにあたって、各々の魅力っていうものをリスペクトした上での完成図なので。だからじゃないですかね」

新井「ある種無責任というか、頓着しないから。自分のプレイに納得してたらあとはなんでもいいよっていうところがあるんですよ。少なくとも俺は結構ある。それがいい作用になってるんじゃないですかね。なので、急に構成が変わっても全然いいし。各々自分ができることを最大限やる。あとは見えてる人に投げるっていう」

常田「みんな音楽の完成形・至上主義だから。俺もそうだし。完成形がカッコよければ俺がギター弾かなくてもいいし、和輝も別にベース弾かなくてもいいと思ってると思うし。そこへの執着はないかもしれないですね」

新井「そこは俺の場合は、元々バンドマンじゃなかったからっていうのもあると思いますね。ライヴミュージシャンではあったけども、ジャズやスタジオ・ミュージシャンもやってて、渡されてすぐ曲やって終わりみたいなのをやってたので。そこでは、その時に起こってることに対して自分の音をどう鳴らすかってだけなんですよ。そういう下地があって今やってるんで。で、King Gnuのライヴの強さっていうのは、俺と遊がそういうところでずっとやってたっていうのも大きいと思うし。そういうフィジカルの強さみたいなものは俺らにあって、一方で音楽のコンセプトとかサウンドの全体像は大希が先頭切ってやってくれてるっていう。そこでの両立が、結果、King Gnuの強さになってるんだと思いますね」

(続きは本誌をチェック!

text by有泉智子

『MUSICA9月号 Vol.137』

Posted on 2018.08.26 by MUSICA編集部

J-POPと2010年代的なるバンドドラマツルギーの再定義、
そして新時代のバンドポップの衝動と感動曲線の在り方――
両A面シングル『ファンファーレ/春夏秋冬』とともに、
sumikaが笑顔で担うものを改めて語り合う!

 

撮影=ヤオタケシ

 

“春夏秋冬”で悩んだ時も
「仲間とバンド始めた時の気持ちに戻れってことなんだ」
と思えたし、俺は片岡健太なだけじゃなくてsumikaなんだから、
ここはバンドで答えを出すターンなんだって思ったんです

『MUSICA9月号 Vol.137』より引用

 

(前略)

片岡「この5年、無意識的にライヴのことを考えながら曲を作ることがほとんどだったんですけど――たとえばsumikaをカラオケで歌ったら、意外とひとりで歌ったら成立しない曲が多いなってわかるんです(笑)。何故ならばバンドとライヴがイメージの中心にあるからなんですね。でも今回は『君の膵臓をたべたい』の書き下ろしなので、いい意味であまりライヴを意識しないで臨めたんですよ。ここ1、2年間でいろいろなことをやらせていただく中で、sumikaらしいタイアップとの向き合い方ってなんなんだろうな?と考えることもあったんですけど、バンドのメンバーだけだとsumikaは不完全だっていうのと一緒で、その都度、余白に意味を見出して、その余白をどう埋めるかを楽しむっていうことだと思ったんです。そこにある余白はマイナスじゃなくてポジティヴなスペースなんですよっていう。だから今回に関して言えば、sumikaの“春夏秋冬”じゃなくて、『君の膵臓をたべたい』の“春夏秋冬”を作るのがsumikaらしさだと思った。だからいい意味でライヴを意識していない作品なんだと思いますね」

(略)

荒井「そうだね。もちろん聴かせるタイプの曲はこれまでにもありましたけど、初期は特にストレートなバンドサウンドでやってきて。そこで、全国の劇場で公開される映画の最後に流れる曲っていう立ち位置でのタイアップとなると……今までは『ずっとバンドでやってきたし、本業でポップスをやってきた人のドラムと自分のドラムにはどこか違う部分があるんだろうな』っていうコンプレックス的なものを抱えていた気がしていて。バンドとして当たっていく“ファンファーレ”みたいなアプローチが正解の場合もあるけれど、初めてここでそのコンプレックスや課題と向き合って、“春夏秋冬”ではリズムでそこを脱却しないといけないと思ったんですよ。映画のストーリー性を踏まえて音楽を作るのもタイアップのひとつの意義ですけど、それと同様に、その映画が上映されるフィールドにふさわしいドラムを叩けなければ、『君の膵臓をたべたい』に関わらせてもらった以上、ちょっと無責任になってしまうんじゃないかって思った部分があって」

■バンドやポップスがどうあるべきかにこだわってる場合じゃなかったと。

荒井「そうですね。自分が何も知らないで映画館にいたとして、『この曲はsumika っていうバンドがやってるんだ』っていうよりも、『この音楽は聴き心地よく入ってくる』って思えるリズムにしたいと思ってました。そして、それがしっかりできたっていう手応えがある曲ですね」

■今の話も含めて、今までの中で一番聴き手を選ばない曲になったんじゃないかなって思うんですけど。それに、ソングライティングに対する執念を一聴した瞬間にガシッと感じました。割と転調を技として使うバンドだとお見受けしてますし、えげつない転調も割とあるじゃないですか。

片岡「はははははははははは、はい。割と」

■たぶん、そのえげつなさがバンド音楽のダイナミズムを表すからこそ敢えてえげつなく響かせていると思うんだけど。その中で今回は非常にしなやかな転調をしているし、そこにも執念を感じて。さっきの歌詞の話もそうだけど、やっぱりひとつここで打ち立てたい気持ちもあったんですか。

片岡「そうですね。作品自体のお話をいただいたのはもう1年前で、その時点で小説はベストセラーでしたし、実写版も評判になってて。だから劇場アニメ版を作ることが決まった時からこの作品が注目されないわけがないなって思ったし、その主題歌を担当するとなったら、そりゃ大ごとじゃないですか。そのチャンスでちゃんと打てる姿勢でいたか、バット握ってバッターボックスに立てていたかっていうことを問われる機会だと思ったので。歌詞や曲の作り方、それこそ転調やアレンジの積み方、コーラス……今までこれで勝ってきたっていう必勝パターンを全部入れましたね」

(続きは本誌をチェック!

text by鹿野 淳

『MUSICA9月号 Vol.137』